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古来より港町として栄えてきた木更津は、歴史と伝統に彩られ、市内に点在する古墳や名刹から昔をしのぶことができます。
木更津の地名の起こりは、日本最古の歴史書「古事記」(7世紀頃)に登場する武勇にすぐれながら悲劇的な生涯を送った英雄「日本武尊伝説」に由来するものです。 日本武尊が、日本平定の戦いの途中、東京湾を上総へ渡ろうとしたとき、海が大荒れに荒れ船が転覆しそうになりました。その時、武尊の后、弟橘媛が海神の怒りを鎮めようとわが身を海に沈め無事上総に上陸することが出来ました。日本武尊は愛する弟橘媛の運命を悲しみ、しばらくこの地を去らなかったといいます。これが君不去=きみさらず=木更津の起こりだと言われています。

徳川家康が中世の戦乱を平定した、1614年の大阪の陣に木更津の水夫が参加し大きな働きをしました。
戦乱平定後、家康は江戸(東京)に都を移し、戦の報奨として、東京湾での海上輸送に特権を与えました。
木更津は江戸と結ぶ物資の集散地として大いに栄えました。
この頃の木更津には、浮世絵師や文人が数多く訪れ、江戸の文化や風俗も盛んに流入し江戸前の独特の気風が育まれてきました。木更津を舞台にした歌舞伎「与話情浮名横櫛」は、1853年、8代目市川団十郎が初演し、大当たりをとりました。主人公の与三郎と美しいお富の悲恋。身を持ち崩した与三郎とこうもり安がかかわる、ドラマチックで華やかな色町の情緒にあふれたこの狂言は当時の木更津の活気を今に伝えています。

江戸時代以降、千葉県の一中核都市として発展を続けてきた木更津市は、東京湾アクアラインの建設と千葉県が推進するかずさアカデミアパーク構想などのビッグプロジェクトにより京浜エリア・京葉エリアの産業、流通の業務拠点と世界へ結ぶ千葉県の新しい玄関口として飛躍的に発展しています。
東京への一極集中によってもたされた大都市問題(長距離通勤や通勤混雑、住宅問題)を解決する絶好の位置にあります。稀少な海と山という恵まれた自然環境と都市サービスを併せ持ったアメニティ環境を基礎とした都市づくりを進めています。