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江戸の前面に広がる海が「江戸前」。
そこで採れる新鮮な海の幸が江戸前の味。
そして、この言葉は「粋でいなせ」の代名詞でも
あります。 木更津もまた、お江戸と繁栄をともにしてきた江戸前のまち。
そんな気風にはぐくまれてきた木更津情緒を
訪ねてみませんか。

 

 CHECK POINT
中の島大橋 光明寺(与三郎の墓)
木更津甚句記念碑 選擇寺(こうもり安の墓)
見染の松 八剱八幡神社
證誠寺 成就寺

 

 (1)中の島大橋
木更津は、古くから東京湾横断の玄関口として栄えてきた港町です。徳川時代には、周辺の物資を江戸に搬出する海上輸送の拠点として木更津船が往来し、現在でも京浜地区との経済・文化の交流に、重要な役割を果たしています。  
そして港の入り口に架かる高さ27メートル、長さ236メートルの
「中の島大橋」は、入り船を迎えるウェルカムゲートとして、
市のシンボルとなっています。流線型の美しいフォルムで、
人だけが通れる日本一高い歩道橋です。
橋の上からは、東京湾から対岸の京浜地区、
遠く富士山も望むことができます。
 (2)木更津甚句記念碑

木更津甚句は、安政年間に江戸落語界にあった木更津亭柳勢が高座で歌い、江戸界隈で大流行。一時すたれたものの、
大正時代に若福という芸妓がお座敷で披露して再び東京で
大流行し、やがて全国に広がりました。2体のブロンズ像は、
向かって右が若福姐さん、左は伝統芸能を受け継ぐ現代女性をイメージしたもので、平成9年12月、鳥居崎海浜公園に
建立されました。

 (3)見染の松

「しがねえ恋の情が仇、命の綱の切れたのをどうとりとめてか
木更津から…」の名ゼリフでお馴染みの歌舞伎「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」。  
これは木更津に伝わる実話をもとに書かれた狂言で、
鳥居崎公園には、主人公・お富と与三郎がたびたび逢瀬を
楽しんだ場所とされる「見染の松(別名袖掛の松)」があります。

 (4)證誠寺


 證誠寺は木更津駅西口の市街地に位置しているにもかかわらず、樹木が生い茂った趣深い寺です。かつては寺子屋として名高く、境内には、市内文人の筆を納めた筆塚があります。  
しかし、何と言っても證誠寺といえば「狸ばやし」でしょう。
これは、月夜の晩に和尚さんとおはやしの競争をして、
ついには腹の皮が破れて死んでしまった大狸のおかしくも哀れな伝説で、群馬県館林市茂林寺の「分福茶釜」、愛媛県松山市の「八百八狸物語」と並んで、日本三大狸伝説のひとつとして語りつがれており、大狸を葬ったという狸塚があります。
 「しょ、しょ、証城寺、証城寺の庭は…」  
また誰もが口ずさんだことのある「証城寺の狸ばやし」は、
大正8年にこの地を訪れた詩人・野口雨情が、狸ばやし伝説をもとに作詩し、中山晋平が曲を付けて発表、以来愉快な童謡として全国で親しまれてきました。  
昭和31年には境内に童謡碑が建てられ、現在では、毎年10月下旬に、地元の小学生が狸や和尚さんに扮して童謡にあわせて踊る、楽しい「狸まつり」が催されています。

 (5)光明寺(与三郎の墓)

木更津駅西口徒歩1分という地の利の良さで、
多くの観光客が訪れる光明寺。
ここには、歌舞伎「与話情浮名横櫛」でお馴染みの、
切られ与三郎の墓があります。
与三郎のモデルとなったのは、山武郡増穂村(現大網白里町)の紺屋の次男・大吉で木更津の紺屋で働いていた職人。
のちに長唄の太夫・四代目芳村伊三郎を襲名。
舞台で看板にしていた体の傷跡が八代目団十郎の目にとまり、
その来歴をもとにして、鶴屋南北の門下・三世瀬川如皐が狂言に書き下ろしました。
初演は嘉永6(1853)年。現在でも歌舞伎役者の香華が絶えず、墓の脇には坂東玉三郎や片岡仁左衛門の卒塔婆も見られます。

 (6)選擇寺(こうもり安の墓)

与三郎の相棒、こうもり安の墓があるのが、駅西口から徒歩5分の選擇寺。本名を山口瀧蔵といい、木更津本町の油屋の次男で、生粋の木更津児。美声の持ち主で常盤津を得意とし、花柳界の寵児と言われるほどの人物で、同じ美声家の大吉(与三郎)と親しかったようです。毎夜ふらふらと飛び回るので、こうもり安の異名をとりました。芝居の中では、与三郎とともにお富の館にゆすりに行くなどと書かれていますが、あくまでも脚色上のこと。実際の彼はそのような人柄ではなく、劇中の人物像に心曇らせたとか。  
選擇寺にある先祖代々の墓碑には、慶応4年4月5日進岳浄精信士と刻まれています。

 (7)八剱八幡神社



八剱八幡神社は、JR木更津駅西口から徒歩およそ5分のところに鎮座し、「八幡さま」の呼び名で親しまれています。
その地の利の良さから参拝者が後をたたず、特にお正月などは近在から多くの人々が訪れ、たいへんな賑わいを見せます。  
主神は誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、
足仲彦命(仲哀天皇)で、相殿に素盞鳴命、日本武尊が祭られており、古えより八剱の里八剱の神と称されていました。
源頼朝が鎌倉開幕に当たり、神領を寄進して神殿を造営したと
いいます。拝殿の天井には、狩野派の技法で風景・花鳥・動物などの装飾画が描かれており、18世紀の作品と思われ、市の指定文化財となっています。
毎年7月第二土曜日と翌日曜日に行われる夏まつりでは、
関東三大神輿の一つと言われる大神輿が巡幸します。
若者たちが重さ1.5トンという超重量級の神輿を担ぎ上げ、
市内を練り歩くさまはまさに圧巻です。

 (8)成就寺

 木更津甚句普及の功労者、芸者「若福」の墓や、初代「波の伊八」の貴重な彫刻があるのが、駅西口から徒歩5分の成就寺。
 若福は本名小野きく、木更津の生まれで、後東京へ出て現在の新橋で芸者をし、地元で覚えた木更津甚句をその美声で唄いました。甚句中興の人とも言われています。
 毎年2月8日には針供養が行われます。